【リンク再建の願い:選手の声】元鳥取フィギュア選手 保木本 望さん

2017/05/09   //   選手の声

鳥取にスケートリンクがあった頃、鳥取県はスケート鳥取と一目置かれるような時期がありました。

そんな時期に幼少でスケートを始めて、冬季国体に4度出場された保木本望さん。

当時選手だった保木本さんに、スケートリンクの閉館前の記憶を遡っていただきながら、鳥取のスケートリンク建設への想いをお聞きしました。

鳥取にスケートリンクの再建を願って / 保木本 望(元鳥取フィギュア選手)

保木本 望さん私は小学校2年生から本格的にスケートを始めました。

当時は、今井恵子さんなどの鳥取県内選手が全国区で活躍していた頃で、市内にはー年中いつでも練習できるリンクがありました。

私は、新しいことができるようになることがうれしくて、早く上達したいー心から夢中で滑っていました。

毎日滑ることが当たり前だったし、それがこれからもずっと続くと思っていました。

しかし、私が高校生になった頃には、リンクが夏季に休業するようになり、毎日リンクで練習することができなくなってしまいました。

その頃には、全日本のブロック大会や国体など大きな試合に出場するようになっていたので、そんな時に年中練習できる環境がなくなるということは、少しでも技術を磨き、上位を狙おうと考えていた私にとっては大きな痛手となりました。

リンクが休業している間は、平日に自宅などで陸上トレーニングを行い、週末にはリンクで練習するため、片道3時間かけて岡山まで通いました。

週末のみのリンクでの練習では、ジャンプやスピンの感覚を維持することが精一杯で、新たな技術の習得はおろか、今まで跳べていたジャンプを跳ぶことすらままならず、随分悩んだことを今でもよく覚えています。

私が選手だった当時は、まだスケートがテレビ放映されることは珍しく、世界で活躍する選手が増え、注目を集めている現在の状況は、スケートに取り組んできた私にとって、とても喜ばしいものです。

しかし、このような状況であっても、十分に練習できる環境に恵まれている選手は、それほど多くありません。

鳥取県も同様で、私が選手だった当時は県内に2か所あったリンクが、今では1つもありません。

鳥取県内にいるスケート選手は、練習できる場所が近くになく、練習環境の確保にも苦労しています。

リンクを建設し、維持していくことは、多くの費用を必要とします。

しかし、リンクがなければ選手も育たず、競技人口が減少し、新たな選手の発掘もできません。

またリンクは、選手などー部の人が滑るためだけのものではありません。

リンクは、選手の練習場所としてだけでなく、学校の授業のー環として、また市民の憩いの場としても、広く活用することができるのではないでしょうか。

多くの人にスケートに触れてもらい、スケートをより身近に感じてもらいたいです。

そのことが、競技人口の増加、競技レベルの向上に繋がり、これからの鳥取のスケートを活気づけていくといった新たな好循環を生み出すきっかけとなれば素敵だと思います。

そのためにも、鳥取市にリンクができることを強く願ってやみません。

鳥取市のスケートリンク建設への意見募集について >>

保木本 望

1984年 鳥取市生まれ:5歳の時に「リッチランド鳥取クラブ」でスケートを始める。桜ケ丘中1年時に全国中学生大会で5位。鳥取東高に進学し、高校総体に2度、国体には4度出場。ボウリングでも好成績を収めた。進学した大阪教大でスケート部を創立し、国公立大学フリースケーティング競技会で2度優勝。小さなスケート部の活躍は、当時の新聞でも大きく取り上げられた。

■ 当時の記録

保木本 望さん 桜ケ丘中学校時代のPTA通信

全中フィギュア5位(中学校時代のPTA通信)

鳥取東高1年 冬季国体フィギュアに出場し旗手を務める

鳥取東高1年 冬季国体フィギュアに出場し旗手を務める

保木本 望さん 鳥取東高1年

鳥取東高1年 ボウリングでも国体出場を目指す

 

保木本 望さん

大阪教大でスケート部を設立:国公立大学競技会で有終V