【無良崇人氏からのメッセージ】町田 樹氏 フィギュアスケーター引退

町田 樹 OFFICIAL WEB SITEより転載
(以下、続きあり)
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町田 樹氏が、2018年10月6日にさいたま市内で行われたフィギュアスケート3地域対抗戦「ジャパン・オープン」と、アイスショー「カーニバル・オン・アイス」での演技をもって、フィギュアスケーターを引退されました。

そして無良崇人氏から、町田 樹氏引退へのメッセージをいただいたので、ここに掲載します。

無良 崇人氏からのメッセージ

子どもの頃から、松戸のダイエー、鳥取の合宿で一緒に練習をしたり、ジュニア、シニアでもずっと一緒に試合をしてきて、気が付けばいつも一緒にいる仲間という感じだったので、彼が滑る姿を観られなくなるのは、本当に寂しく思います。

全日本選手権では、抜いたり抜かれたりと、本当に色々な思い出がありますが、いつも彼は色々と新しいことをしてくるので、「次のプログラムでは何をやってくるんだろう?」というのが楽しみでもありました。

でも、きっと彼の事だから、また違った形でスケートに関わってくれると、これからの活動にも期待しています。

本当に長い間、お疲れ様でした。

無良 崇人

町田 樹氏の「フィギュアスケーター引退のご報告 」のスペシャルサンクスに並んでいる「日本海リッチランドアイススケートリンク 様」の文字。

鳥取市には、2006年1月15日まで「日本海リッチランド アイススケートリンク」というリンクがありました。

不思議な流れなのですが、ちょうど前日の2018年10月5日に鳥取に来訪していた無良崇人氏、無良隆志先生も、その「日本海リッチランド」の運営母体であった新日本海新聞社へご挨拶に伺いました。

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現役時代に日本海新聞で応援頂いたことへの御礼や、昔のリッチランドの話に花を咲かせながら、色々なことを思い出す中で、無良氏と共に鳥取で話題に上るのは、やはり町田 樹氏の話。

当時鳥取県スケート連盟がお世話になっていた秦 安曇先生の元へ、いつも日本海リッチランドに練習に来ていたのが、お母様が鳥取県倉吉市出身である町田 樹選手。

選手たちが練習している傍らで、同伴者である家族や関係者もまた長い空き時間を共に過ごし、絆が深まっていくのは、きっとどの競技でも同じだと思いますが、私たちもまた町田家と共に過ごし、現役時代に一緒に応援させて頂いたのは良い思い出でもあります。

選手現役時代は、日本海新聞を始めとした鳥取のメディアや鳥取県も、町田選手と無良選手を共に応援し、中でも町田氏のお祖父様が暮らす地元倉吉市は市役所を先頭に、多くの人が町田選手を応援しました。

鳥取県内のリンクが無くなり、県内で育つスケート選手がどんどんと減っていく中、お二人の活躍は、鳥取県内のスケート界にとって大きな支えであり、鳥取のスケートファンにとっても自然な存在でした。

鳥取県スケート連盟の事務所には、様々なスケート選手のサインが保管してありますが、実はその中には町田 樹氏のサインは保管されていません。

これは、無良崇人氏のサインも同じでした。

仲間内でもらうのが気恥ずかしかったのもあるかもしれませんが、それよりもお二人が鳥取にとっては特別な存在ではなく、いつでも一緒に居られるという安心の証だったのかもしれません。

鳥取にスケートリンクをつくり、お二人に滑ってもらうという夢に間に合わなかった事が残念ですが、これからまた違った形で、町田氏と夢を共有できる時が来るのを楽しみにしています。

町田 樹氏とご家族の皆様、本当に長い間、お疲れ様でした。

これからのご活躍を期待しています。

※当時の「日本海リッチランド アイススケートリンク」の活動を紹介するウェブサイトは、非公式のメモリアル版という形で、今も当時のまま残されています。

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※冒頭の挨拶文は、町田 樹氏のホームページより転載しております。
(町田氏側に転載許可をお願いしております。)